見栄っぱり

 今日は訳もなく丸の内を観光した。いや、正確に言うと訳はあった。近くに用事はあったし、大きい本屋に行きたいと思って「東京駅 大型書店」で検索したら丸善の丸の内本店がヒットしたからだ。やはり検索からは逃れられないようだ。

 それで本屋に行くついでに周りの高層ビル群とか東京駅舎を見て回ったのだけれど、頑張ってみても「たっけーなー」とか「歴史をかんじるなぁ」みたいな小学生みたいな感想しか心の中に浮かばなくて自分の精神年齢の低さを改めて実感することになった。それでいて目をキラキラさせながら「俺もいつかこんなでかいビル建ててやるぞ!」とそれこそ小学生みたいにビルを眺めることができればいいのだろうけど、そこは小学生になれず、「高いビル見上げる奴は田舎もん臭い」というしょーもないプライドのせいで見上げることができなかった(事実田舎もんなのだが)。身なりはTシャツ一枚で街の雰囲気に全く馴染んでいなかったのに慣れてる感を出そうと見栄をはっていた。

 やっぱり街歩きみたいなことは苦手らしい。友達に散歩が大好きな人がいて、東京駅楽しいとかなんとか言っていたから行けば何か楽しめるのかなと思ったけど僕には難しく感じた。何が不足しているのだろう。知識か素直さか謙虚さか。全部かもしれない。いつかブラタモリ見て心の底から面白いと言えるおじさんになりたいものだ。

 歩き疲れてお腹が空いてきたところでなぜか、東京駅のラーメンストリートのラーメンを食べようと思った。ここで大事なのは「あそこのラーメンを食べたい」という僕の食欲と舌が求めていたのではなく、「あそこのラーメンを食べよう」と頭で考えて決定したということだ。元来僕は食通ではなく、食事に関しては、不味くはなくて、お腹が膨れて、不健康にならなければ良いやっていう主義である。昼食に関してはこれらの要素以上に安さというのがウェイトを占めてくる。それなのになぜ、不健康で、普段の昼食よりはかなり高いラーメンを東京駅で食べたのか。なぜ券売機でいちばん安いラーメンではなくてちょっとトッピングの多い一番人気のラーメンを注文してしまったのか。今思えばこれもやはり見栄である。見栄で注文したラーメンを食べ終わると後悔してた。グルメサイトでこのラーメンのレビューを見なかったのは成長かもしれない。

 じゃあさっきから誰に見栄を張っているのだろうと考える。僕は一人で歩き回ったし、一人で食事をとった。後輩とか彼女が隣にいれば少しくらい見栄を張るのは普通のことだろう。一人なのになぜ。

 多分東京の人とか東京の街に見栄を張っていたんじゃないかと思う。田舎住みっていうのを一種のアイデンティティにしつつも、いやだからこそ、田舎者でも東京の大学生が楽しんでるみたいに街を歩き、有名な店のラーメンを食べれるぞって心の中で声をあげたかったんだと思う。

 僕はこの日の帰り丸善丸の内本店でどこでも買える文庫本を一冊買って帰った。

このブログのタイトル

このブログのタイトルの

「検索人間」

というのは僕自身のことだ。

 読んで字のごとく僕はなんでも検索してしまう。

 調べたいことがあればすぐ検索エンジンSNSで検索して自分の求めていたそれっぽい検索結果が得られればそれに満足する。調べたいことがなくてもなんとなくスマホをいじってネットニュースやtwitterのTLから面白そうな話題とかちょっと気になることをわざわざ見つけて検索かけてまた満足する。

 例えば前者の例でいくとこのブログを開設するにあたって、まず

「ブログ 開設」

「ブログ 無料 おススメ」

「ブログ 書き方」

で検索してからこのはてなブログでブログを書き始めることに決めた。それぞれ上位検索結果2,3個クリックしたけどここでブログを開設するメリットを他人に説明できないし、ブログの書き方については「ブログで稼ぐ書き方」とか「一人でも多くの人に読んでもらうブログの書き方」とか僕がブログを書く目的とは違うのが説明されてて何か検索が身の為になったということは無かった。

 

 後者の例で行くと、とあるSNSで誰かが

「この高校生カップルが数年後、予想できない姿に!」

みたいな記事をシェアしてるのを見て記事を開こうとするも会員登録が必要で、それが嫌だから記事のタイトルで検索して会員登録の必要ないサイトから記事を読んだ。最終的にその高校生カップルが数年後結婚しただけの話(当のカップルはめでたいことだけど)であり、まったくもって僕が知らなくてもよいことだった。(それでも覚えてしまってこうしてここで例として挙げている)

 

 それぞれの例が一回限りで似たようなことを繰り返さなければ特に問題ないと思うけど、繰り返してしまっているのが僕。前者でもかなり情報の波に流されているし、後者は情報の波に溺れている。前者の傾向は1,2年前からあって、後者の傾向は半年ぐらい前からあるんじゃないかと自覚している。ここ1,2ヶ月は大学の授業も少なかったせいかずっと溺れ続けていた。さすがに危機感を感じた。

 そんな溺死寸前な僕がブログを始めたのは

「波を起こす側になってみたら流されるだけじゃなくなるんじゃない?」

って思ったからだ。僕の起こす波なんてタカが知れているが書いてみようと思う。

 

いつかは検索される側の人間になりたいものだ。

ブログはじめます。

ブログはじめます。

 

「ブログはじめました。」ではないのは今後続くものかまったく見当がつかないものであり、僕が書くものがブログなのかどうかもよくわからないから。

 

何か感じたことがあれば、それを残したいと思ったら、日記のように書いていきたいです。